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松江地方裁判所 昭和33年(わ)61号 判決 1958年12月25日

被告人 飯塚行男

主文

被告人を懲役四月に処する。

但し、本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二九年三月頃、肩書住居地を離れ、爾来、近親者との音信も絶え、その行方が判明しない侭であつたところ、突如、昭和三三年七月一三日、第二一次中共地区引揚船「白山丸」で京都府舞鶴港に入港して帰国したものであるが、右帰国以前たる昭和二九年三月頃より昭和三一年六月頃までの間に、本邦外の地域である中国(中共地区)に赴く意図を以て有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦内いずれかの個所より不法に出国したものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人及び弁護人の主張に対する判断)

一、出入国管理令は、日本国憲法第二二条第二項に違反するとの点について。

この点に関する被告人及び弁護人の主張を要約すれば「日本国民は、本来、外国に移住する自由を有し、この自由は、国民の基本的人権として保証され、法律を以てしてもこれを制限することはできない。仮りに、公共の福祉による制限ありとするも、これが制限の基準は、須らく明白且つ合理的なることを要する。しかるに出入国管理令は、旅券を所持しない者の出国を禁止し、一面、旅券法には、外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足る相当の理由がある場合は、旅券の発給を拒否し得る旨規定してあり、結局、政府の政治的考慮により、国民の海外渡航を制限できる結果となるのであるから、出入国管理令は、日本国憲法第二二条第二項に違反するものである」というに在る。

成程、出入国管理令第六〇条によれば、有効な旅券を所持し、且つこれに出国の証印を受けなければ出国してはならない旨定めており、これによつて、国民の海外渡航の自由は、事実上或る程度制限されることがあり得るけれども、出入国管理令第六〇条は、国民の海外渡航それ自体を法律上制限するものではなく、単に、出国の手続に関する措置を定めたものであり、それ等の規定は、同令第一条に定めるが如きすべての人の出入国の公正な管理という目的を達成する公共の福祉の為に設けられたものに外ならず、これを以て、日本国憲法第二二条第二項に違反するものであるというのは当らない。(最高裁判所昭和二九年(あ)第三八九号、昭和三二年一二月二五日言渡、大法廷判決参照。)

二、本件においては、訴因が特定していないとの点について。

被告人及び弁護人は、「本件起訴状には、犯行の日時として、昭和二九年三月頃より同三一年六月頃までの間という二年三ヶ月の長期間を以て示し、且つ、出国の場所、方法については、何等示すところなく、このような記載では、到底、訴因が特定しているということはできない。殊に、本件においては、右期間中、被告人が二回以上出国したかも知れないという合理的疑があり、かかる記載を以て、訴因の特定ありとせんか、被告人の防禦権は、著しく不当に阻害されることが明らかであるから、本件公訴提起の手続は、刑事訴訟法第二五六条第三項に違反するものといわなければならない」と主張する。

ところで刑事訴訟法第二五六条第三項には、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定してあるところ、本件起訴状中、公訴事実欄には、「被告人は、昭和二九年三月頃より同三一年六月頃までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦より本邦外の地域である中国に出国したものである」との記載があるのみであるが、この記載は、訴因の明示につき、必ずしも十分であるということはできない。併しながら、第三回公判における検察官の釈明によれば、本件公訴事実は、被告人が昭和三三年七月一三日、第二一次中共地区引揚船「白山丸」で帰国した直前の一回の密出国行為であること、即ち、右帰国の原因たる密出国行為を以て公訴事実の内容とするものであることが明らかである。公判審理の際、被告人は、公訴事実に関する限り、終始、黙否権を行使しているのであるが、起訴状記載の右期間中、被告人が二回以上出国したかも知れないとの疑をさしはさむべき根拠を発見することができない本件において、起訴状中、公訴事実欄の記載は、検察官の前記の如き釈明と相俟つて、これを以て、一応、訴因の特定があつたものと解し得ないことはない。本件において、被告人としては、自ら、具体的事実に関する供述をなし、或いは、適当な反証を提出して、公訴事実を争う余地があるのに拘らず、これをなさないものたるに止まるのであつて、訴因の特定に関し、叙上の如く解したとて、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞が全くないことは、審理の経過に鑑み、明らかであるといわざるを得ない。従つて、本件公訴提起の手続は、刑事訴訟法第二五六条第三項に違反するものであるとの主張は、これを採用することができない。

三、本件出国は、正当行為であり、又、自救権の行使であるとの点について。

被告人は、「自分は、平和を守り、民主主義を守る為には、世界の人々、特に、嘗て我国と戦争関係に在つたアジアの隣国六億の人口を有する中国の民衆と話し合い、しつかり手をつないで仲よくなつて行くことこそ大切だと考え、世界の平和、日本国民の幸福を念願し、中国人民の協力を求めんがため、あえて中国に渡つたのである。これは、平和を守らんとする日本国民としての当然の行動であり、元来、日本国憲法によつて保証された外国に移住する自由に基くものであるから、正当行為であり、従つて、犯罪性のない行為である」と主張し、更に、弁護人は「起訴状記載の頃、即ち、昭和二九年三月頃より昭和三一年六月頃までの間、日本国政府が国民の中国渡航を厳重に禁止していたことは、周知の事実である。併しながら、国際情勢を正確に認識することは、主権者たる国民としての当然の自由であつて、これは、表現の自由と共に、十分に尊重されなければならない。即ち、国際情勢に対する正確な認識を得んがための行動は、国民としての権利であり、寧ろ、義務であるといわなければならないから、本件出国は、国民としての自救権の行使であつて、罪とならないものである」と主張する。

さて、出入国管理令は、国民の海外渡航それ自体を法律上制限するものでなく、日本国憲法第二二条第二項に違反するものでないことは、既に、説示したところであるが、すべての人の出入国の公正な管理を実施しなければならないことは、独り我国のみに限らず、全世界いずれの国においても、共通の事柄であることは、あえて贅言を要しない。たとえ、被告人の主張するが如き目的の為であつても、出入国管理に関する法令は勿論、凡ゆる法秩序は、決して、これを無視することが許されないことは、これ亦当然のことであつて、外国に移住する自由に藉口し、出入国管理令に違反せる行為を目し、正当行為であるとするが如きは、著しく法の精神を無視するものであるといわなければならない。又、仮りに、国民の海外渡航に関し、関係行政庁において、違法或いは著しく不相当な処分があつた場合、これに対する不服申立によつて、右処分の是正を求める方法は、法律上の制度として認められているところであるから、弁護人主張の如き理由により、本件出国を以て、国民としての自救権の行使であるとなし得ないことは、極めて明らかであり、結局、本件出国を以て、正当行為であり、或いは、自救権の行使であるというのは当らない。

(法律の適用)

被告人の判示所為は、出入国管理令第六〇条、第七一条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内において、被告人を懲役四月に処する。但し、諸般の事情を考慮するとき、刑の執行を猶予するのが相当と認められるので、刑法第二五条第一項によつて、本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項を適用し、全部被告人に負担させることとする。

よつて、主文の通り判決する。

(裁判官 組原政男 西村哲夫 武波保男)

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